SNSでもシェアしたのですが、
その時にこのような文章を一緒に載せました。
「ギターでバッハを弾く、というのはすごい謎で、バッハにはギターの曲は1曲もないのに、
昔からありとあらゆる巨匠が、素晴らしい名演の数々を残しており、
必然、ギターを学ぶかなり初期の頃からバッハの音楽がそばにあるのです。
僕もそのようなわけで、ずっとずっとギターでバッハをやっていましたし、
留学中はとりわけ、二人の名匠にバッハ中心にしごかれた日々でした。ありがたや。
演奏会でもずっと弾いてきましたけど、やはり、オリジナルの名演、
過去のギタリストの諸先輩方(あるいは今の同年代や後輩たちも含めて)の、
すごい意気込みのバッハを聴く、真似してみる、すればするほど、
自分じゃなくてもいいような気がしてしまうのですが、
今井勇一さんがこしらえてくださった8弦ギターで、
何か、まったく違う方向性を追求できるような気がしたのです。
直感は今や、かなり確実な手応えなんですが、これ、もし僕がやり遂げなくても、
ここには多くの果実が残されていると思います。
他の曲では様々な変則調弦を用いていますが、その変則が頭のついていく範囲であれば、
左手の難易度は遥かに低くなります。
ここに未来があるような気がする自分を信じての匍匐前進です。」
この正直な告白が良かったのでしょうか。
たくさんの方に観ていただいたり、感想をもらえたり、
シェアしてもらえたりしました。
ここではもう少し突っ込んで、
ちょっと危ない話?!しようかと思うんですけど。
ギタリストの人には、
子供の時から当然のように慣れ親しんできた
ギターの音色や、ギターでの古典音楽の演奏について、
不信感というか、疑いを持つ余地がないことが多いので、
例えば上の文章のようなものを読んでも、
ピンと来ないギタリストもたくさんいるのではないか、と思うのです。
つまり、バッハだったら、
ギタリストの人たちはギターのバッハから入って
原曲にたどり着く、という順番がほとんどなので、
ギターのバッハ、という確固たるアイデンティティが元からある。
僕も確かにそれはそうなんですけど、
1985年、バッハの生誕300年というのがあって、
ラジオで一日中バッハやっていたことがあり、
その時僕は中学3年?かな?
なので、自分で弾くとなったくらいの頃から、
バッハの曲はギターもそうではないオリジナルのものも、
同時に知っていった感じでした。
なので、
一部の、とてもローカルな味わいのギターで
バッハを弾いているのを聴くと、
雑な言い方なのですが、
三味線でバッハ弾いているのを聴いているのに
似たような感覚になってしまうのです。
セゴビア、ブリーム、ジョンと言った巨匠たちは
スパニッシュ・ギターの名器でバッハを演奏していますけど、
上手いことそのギター訛りのようなものを
美しく利用できていると思います。
時々、ハーモニーがモーダルに聴こえすぎる時はありますが...
バルエコ、イェランになると、
もう少し鍵盤楽器的なサウンドへの指向性が強まっているし、
音質、音色などもとても完成されていて、
古典音楽やバロック音楽が
まったく違和感なくギターの音楽になっています。
最近はギターもとても音質が均質化されていますので、
だいぶ独特な感じになっている気がします。
倍音も少ない楽器、というか、コントロールされてる楽器が多いし、
でもそうなってくると、
あんまりクラシック音楽を聴いている感じがしません,よね....
面白いのは、
上の動画と文章を観て
すぐに熱い反応をしてくれたのは、
ジャズ系の皆さん、それからクラシックの音楽学に携わっている友人たち、
なんですね。
もちろんギタリストの皆さんは、褒めてくださいますけど、
ギターでバッハを弾くことの特殊性、
っていうのは、考えたことがないみたい。
8弦ギターの響き方が
通常の6弦よりも11弦ギターなどに近い、ということもありますが、
この今井さんの8弦はほんとうに音楽的、
クラシック音楽的なサウンドがしますし、
バッハに向いてるなぁと思います。
まだまだ精進です。