昨日、今日、と以前から
お会いするとご挨拶したり、
SNSで繋がっていたり
ということはあっても、
ちゃんと接する機会のなかったお二人と
ゆっくり会うことができました。

昨日は尊敬するジャズギタリスト、
中牟礼貞則先生のバースデーソロライヴへ。
3月15日に90歳(!!)になられます。

人生が音になって紡ぎ出される、
というのは
こういうことなんだなぁとしみじみ聴き惚れました。
間に入る昔の思い出話もとても面白かった。

中牟礼先生は僕の父の世代なので、
昭和の戦後、やみくもな勢いがあった時代の
懐かしいやんちゃな体験をたくさんされていて、
そういう感じもとても親しみが湧きました。

家に帰ってギターを弾いてみたら、
思いもよらないエネルギーが漲っていました。
中牟礼先生のパワーすごい。
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中牟礼先生のお写真は
先生と活動をともにされているカメラマンの
平口紀生さんのFBから拝借しました。


素晴らしい体験をした後、
家に帰って、
自分たちに余裕がなくなると、
先人たちの話をじっくり聞く余裕がなくなるものかもしれないなぁ、
と振り返りました。

もっと、今、何を私たちは共有できていて、
何がのこされていくのか、
ということに、
気を配らなくてはいけないのかもしれない。


例えばアメリカ合衆国の
僕たち以降の世代は、
どんなに頑張っても平均的には
親の世代の生涯収入を超えられない、
ということを聞いたことがあるけど、
そうなってくると
かつてあった夢や希望についての話をすることまで
避けてしまうようになっていく場合があるのかもしれない。

でも、それはまったく別のことで、
まったく別の国の、別の世界の出来事のように、
ただ聞いていくべきなのかもしれない、
と思いました。
多分、そうすることで何かが変わると思う。

耳を塞ぐ、というのは、
悲しみや怒りの元になるし、
そうすると結局、
うらやましかったものになろうとするので、
先代の人たちが残してくれたものを
継承して一歩新しい時代に踏み出す、
ということは出来ずに終わる、
のではないかなぁ、
と漠然と思いました。


今日は、というと、
中学、高校の同級生で、
Facebookだけで繋がって近況を知っていた友達と
多分、35年ぶりくらいに再会。

その間、
本が5冊くらい書けそうな様々な遍歴を経た友人の
興味深い話をたくさん、それでもどんなに聞いても
飽きることはない話を腹を抱えて笑いながら聞きました。

そしてその友人、
高校の頃と見た目がそんなに変わっていない。
びっくりします。
僕の周囲の120歳まで生きそうな人NO.1です。

本人にもそう言ったら、
みんなに言われるらしい。
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カテゴリー 音楽
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