その当時の僕はハーモニカやヴァイオリンやフルート、
様々な楽器の伴奏を主な仕事にしていました。
年間、かなりな本数をやっていたと思います。
3日連続で伴奏の仕事を終えた翌日、
クリスマスイブの日は疲れて昼から布団に潜り込んでいたところ、
夕方突然電話が鳴りました。
寝ぼけた意識で出てみると、岡村雅子さんからのお仕事の依頼で、
なんだかとても大きなホールで武満徹さんのご命日に演奏会を、とのことでした。
でも実はほんとうに寝起きでしたので、会話の半分くらいは憶えていませんでした。
当時はまだ武満さんが亡くなられたばかりで、
いろいろな追悼コンサートが催されていました。
ですから僕は、
きっと武満さん御存命中から縁のある音楽家の諸先輩は
都内のホールで大忙しなので、
キャパシティだけ大きな地方のホールには
人手不足なのが自分にも回ってきたのだろう、
ありがたいことだなぁ、
くらいに思って、お話の詳細をしっかり確認せぬまま
電話を切ってまた寝込んでしまったのです。
年明け、
武満眞樹さんから東京オペラシティのニューイヤーコンサートを聴いてください、
と言われて初めてオペラシティに行きました。
終演後、眞樹さんが
「岡村さんから電話あった?裏にいるから会っていけば?」
と言われたのでご挨拶すると、
あの、忘れられない淡々と毅然としたご様子で、
「ホールはご覧になりましたか?よろしくお願いしますね」
と言われて、
そういえば岡村さんてここのプロデューサーさんだった、
ということを思い出しました。
でも昔は、(今はよくわかりませんが)
プロデューサーさんというのは人から頼まれて他の主催者さんに演奏家を紹介する、
ような機会もたくさんありましたので、
僕もまさか東京オペラシティでのコンサートを依頼されているとは考えもしておらず、
呆然とあっけにとられて帰路につきました。
あの日がなければその後自分がたくさんのことを教わることのできる多くの出会いも、
今の自分もありませんでした。
昔話をするのは、もう少し経ってから、と常々思ってはおりましたが、
自分が岡村さんに与えていただいた数々の素晴らしい機会への感謝はまだまだ足りないと感じ、
自戒の意味も込めて思い出しました。
もっと良い演奏をたくさんしなくてはいけませんよね。
岡村さん、ありがとうございました。
おつかれさまでした。心よりご冥福をお祈りしています。
