実は現代ギター10月号の表紙にしていただくのですが、
それに伴って長〜いインタビューをしていただき、
その内容の確認と、自分の原稿の校正、
毎月の掲載楽譜のチェック、など、
たくさんやることのある間に
今後のスケジュールの事務処理などやっています。

この先、
世の中どうなっていくかわかりませんが、
やることがある、というのはありがたいです。

街を歩いていると、
気のせいかもしれませんが
だんだん一人一人の人の眼が、
輝き方というか、光の宿しかたが
バラエティーに富んできたというか.....

そう考えると
以前の日本人は
押し並べて平均化された表情というか、
眼光を宿していたのだなぁ、

と思えるくらいに、

しっかりと感染症と闘っています、
という意志の眼の人もいれば、
所在なげな眼の人もいれば、
俺にはコロナなんて関係ないぞ、あんなのただの風邪だろう!?
っていう挑戦的な眼の人もいます。

感染症の疲弊が、
これほど長く続くと、
人々はこんなにも
あられも恥も外聞もなく
眼が自分の心の鏡のようになって
様々なものを映し出す感じになってしまうのか、
と、
非常に興味深く見ています。


このばらばらな気持ちの集団は、
果たして一つの国家を形成する集団としてみたときに、
一体どこに向かっているのでしょうか.....

謎です。


でも、
こんな気持ちの街並みが続けば続くほど、
それぞれの心の根の、一番深いところにある
優しい気持ちのようなもの、
そのことだけを考えて音楽をしていたい、
という気持ちにさせられます。

戦争が起きたとしても、
もしかしたら同じような感じなのでしょうか....

これは自然災害の後の気分とはちょっと違います。


ものすごく触れてはいけない例に
敢えて触れて、で言うと、

僕は東日本大震災の後、
5月の下旬くらいに、

原発で故郷に住めなくなってしまった方達の
避難所に慰問に行ったことがあるのですが、

そのときに、
音楽をやっている、その会場に来ようとしてくださるのは、
子供さんや女性が中心で、

中に紛れている男性は、
女性によっておそらく無理やり連れてこられた感じの方が多く、

その男性たちが、
舞台の僕らを見つめる眼の、

もう例えようのない、
後にも先にも感じたことのないような、

怒りと殺気。。。。

自然災害ばかりでなく、
人の過失によって
生活の全てを奪われた方達に、

そのお気持ちを考えてはいるとはいえ、

何もできることがなく、
音楽を演奏するしかない僕たち。。

ご一緒したある大巨匠の手が舞台上で震えるのを見たのは、

あれが最初で最後でした。


あんなに、
人の心や気持ちを遠くに、
自分がそれに何かを投げかけることを申し訳なく、
感じたことはありません。


今、
僕は、
あの時の避難されていた皆さんとは
くらべようがないほど平穏ではありますが、

やはり自分が生活を脅かされる危機の中におり、

しかもそれが、
政策や不条理な情報の錯乱によって
増長され、混乱させられている、

ともすれば人間不信になりそうな中で、
音楽を、
優しい音楽をやりたいと願っている。


今の自分があれば、
あの時避難されていた方達にも
心を安らげてもらえるような、
音楽を奏でられるのでしょうか?

そんなことを考えるようになりました。


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カテゴリー 音楽
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