ザルツブルグに留学していたころ、
僕が住んでいたのは学校のあるザルツブルグ市街から
30キロ弱離れたハライン という静かで小さな町で、
日頃の変化もあまりなく、
徒歩とザルツブルグまでいく電車に15分乗るだけの生活が
ほぼ1年の8割を占めていたので、
留学生活の終わりの方で福田先生の先生のナルシス・ボネ先生に
レッスンを受けようと思ってパリに行ったら
地下鉄に乗ることさえ若干怖かったのです。
人がいることに慣れない体になっていたと申しますか、
とにかくオーストリアは人と人との隙間がたくさんあったので
(住んでたのがウィーンだったらそんなことなかったと思いますが。)
パリの街で間近で人とすれ違うのもちょっと緊張したのを思い出します。
こんなことじゃ東京には帰れないぞ、って思いました。
コロナ引き籠り生活に入って50日ほど経過したと思うのですが、
これがもし100日も続いたとしたら、
相当、以前の人の多い東京のこと、忘れてるんじゃないでしょうか。
僕は特に、前に起こした失敗とか遭遇した不幸とか、
何でも忘れてしまうのでよく驚かれていますから、
気をつけないといけません。
首都圏と大阪、兵庫、北海道以外は緊急事態宣言が解除になりました。
このまま5月末まで行って、感染する患者さんがある程度抑えられていれば
首都圏も緊急事態宣言は解除になるのではないかという予想です。
ところがもし解除されても、
コンサートなど人が集まる場所では
1~2mのソーシャル・ディスタンスを設けねばならず、
そうすると客席の15~19%しか使用できない計算なのだとか。
ということはフル・オーケストラの作品は
舞台上がすでに過密になってしまいますから
すぐには演奏不可能です。
先日、ダニエル・バレンボイムが終戦75周年のコンサートを
ベルリン国立歌劇場管弦楽団のメンバーと
極々少人数で演奏者ごとの距離を空けて演奏していました。
https://www.3sat.de/kultur/musik/gedenkkonzert-kriegsende-110.html


ソーシャル・ディスタンスを保った室内楽や独奏は可能ですが、
今問題となっているのは、見た目がガラガラの客席と少人数の出演者による演奏会は
果たして舞台芸術として成立するのか、ということのようです。
それから、もちろんのことですが
お客様が少なければ自動的にチケット収入も減りますので
採算が合わなくなります。
この窮状を救うべく、
e+、ぴあ、などでライヴ配信サービスが始まるという朗報も入ってきました。
このコンサートがチケット有料の配信に移行する、
という動きは、ですが一筋縄ではいきませんよね。
理由としては
①すでに多数の無料配信コンサートがネット上に存在し、
コロナ自粛以後、世界各地のオーケストラや劇場も率先して新しいコンテンツを
期間限定で配信したり、従来の有料コンテンツを無料にしたりしている。
②今後配信されるべく作られるコンテンツも、
有料チケット制、投げ銭(サポート)制、無料が併立していくことになる。
それから、すでに行われている無料、または投げ銭のコンサートやライヴを拝見した
僕個人の感想で恐縮なのですが、
ライヴそのままの雰囲気を伝えようとしてMCなども従来のコンサートと同じように配信する場合、
ほんとうにそのままの雰囲気が伝わっているもの、
ちょっと温度差を感じてしまうもの(ごめんなさい😖)、
あるいはひたすら演奏しているだけの動画でも
何となく見過ごせてしまうものと、
まるで壮絶なスポーツの試合を見せてもらっているような
白熱のテンションが伝わってくるものがあったり。。。。
ケース・バイ・ケースなんですね、ま、ライヴに実際行ったとしても
粛々と現代音楽を弾いているのもあれば、一緒にみんな踊っているのもあるから、
それと同じ差異なんでは、と言われたらそうかもしれません。
けど、どんなに音の少ない静かな公演でも、
やはり生の場合は“だからこそ”の緊張感がありますよね。
配信の場合は観てるこっちが日常だから、
それを忘れさせてくれるようなコンテンツ、っていうことになると
まだまだ演奏する方にも観てくださるお客様にも
これなら定着しそうだ、という形はこれから見えてくるものなのかも。。。。
この辺の試行錯誤と方向性を見出すまでには
3ヶ月から半年はかかるんじゃないかと思ってしまいます。。。
そうこうしているうちに
対症療法の薬が見つかったり新薬が認可されたりするでしょうし、
ワクチンが開発されるかもしれない。
それにやはりBCGワクチンとの相関関係は
無視できないものになっているというから、
わりと思ったより早い段階で
インフルエンザや他の感染症レベルになっていくのでは、
という楽観的憶測も完全に否定はできません。。
僕自身、
ちょっと前までは
今起きていることや、これから起こりそうなことを
頭の中で並べたり、可能性の低い実践されなさそうなアクションを消去していったり、
明確にできていたのですが(ま、気のせいかもしれませんが)
ちょっとここへきて、
考慮すべきテーブルに並べる事実が多種多様多数になってきて、
それを上から眺めて腕組みして
ふ〜ん・・・・・とただ見下ろしている状態になってきました。
こういう時は、
きっと誰かが解決策を示してくれるに違いないと思って
日々情報に目と耳を光らせています。
僕がもし近日、有料の配信演奏をするようなことがあるとしたら、
おそらくそれは1時間くらいの音楽についてのお話を若干含めたものになると思います。
配信は、カメラで近くに寄れる、というのが最大の利点なので、
クラシック・ギターの曲であれば技術的なことを解説してお見せしても良いと思いますし、
ジャズだったら普通のライヴではしないような曲やコードの解説なんかをしても面白いかも・・・・
配信のコンサートやコンテンツを、
コロナ自粛によるアーティストへの支援、という気持ちで
行われなくても済むようになるのが、僕は理想です。。。
今日はもう何にも解決しないから、
ここからどうでも良い話題。
その1.
毎日Twitterにパガニーニのソナタとソルの小さな曲、
時折そうでないものなんかをアップさせていただいておりますが、
ソル
1778年2月13日?(洗礼日は2月14日) - 1839年7月10日
パガニーニ
1782年10月27日 - 1840年5月27日
ということで、生没年がかなり近いんですね。
で、パガニーニのソナタのたいてい二つある楽章の最初の方は、
メヌエットですし、
ソルもたくさんメヌエット、という小品または楽章を書いていますよね。
それでその双方を比べていくと、
いやーこれは偶然にしては相当似ているよなぁ....
ということが起きてきます。
『ソル対パガニーニ ギター合戦』
とか、絶対出来そうなくらい。
ま、本当に偶然だと思います。
ソルの方は、天上天下唯我独尊風なところがあるので、
意地でも「お!それいいね」と思ったものを自身の作曲に取り入れたりしない気がしますが、
パガニーニはしれっとやりそうな気もする.....
あるいはその逆でしょうか。。。。
とにかくこの同時進行は
それぞれを見ているときよりも
二人の生涯について俄然興味が湧いてきます。
あ、あとその2
自分が使ってる楽器について
毎日同じだと飽きるので、
動画撮るに際してあれこれと家にある楽器を取っ替え引っ替えしています。
最初のうちカルカッシの練習曲では
今井勇一さんのギターを4種類、
それぞれの特性があるので面白がって使い分けておりましたが、
今回たまたま2000年に最初に完成した
横裏板がハカランダのものが
とても良い状態にあるので、それが楽しくて
結局そればかりになってしまいました。
でも、この前アップされた三井住友海上文化財団さんの
「おうちでときめくひととき」なんか観ていると
やはり今井さんのシープレスは万能楽器だなぁと思います。
で、時々アンコール・ピースのようなものを
フレタやラミレスで弾いています。
やはり流石の音色です。
それから、思いのほかだったのは、
アンヘル・ベニート・アグアドという製作家の
プティ・ジャンという昔の製作家のギターをもとにしたレプリカが人気なこと。
これ、前から平井千絵さんとのデュオや歌の伴奏などに使っておりましたが、
コロナ騒動がなければここまでほめてもらう機会はなかったかも。。
このアグアドさん、確かすごく有名な古楽器奏者に19世紀ギターを注文され、
2台作って選ばれなかった方を原善伸先生が買われて、CDも録音されて、
その後うちに来ました。間に松井邦義さんによる改造を経ています。
糸巻きもモダンスタイルですし、
弦を結ぶ駒に至ってはダブル・ホールなので、
なんというか。。。19.5世紀ギターなんですが、
とにかく使い勝手が良いので気に入っています。
さて、あとはTwitterにもちょっと書きましたが、
3月初旬から改造するために入院していた
YAMAHAのGC82Sという松のギターが家に帰ってきました。
20フレットつけたり、フレットを変えたりしたんですが、
今はこれが気に入っていてたくさん使っています。
とにかく疲れないのでいろんな曲を長時間弾いていられる、
まさに弾き籠りにうってつけの楽器です。
個々の楽器についても
またあらためて写真つけて詳しく書きますね。
今、書いてたらちょっとやる気になってきました。。。。😅
それでは皆さん、くれぐれもおだいじに。。😌