昨年から続いているプロジェクトですが、
シューベルトについての仕事を続けています。

その間、
昨年はタン・ドゥンがあったり、
12月のリサイタルがあったりしましたので、
混乱するといけないので
発信を控えていた部分もあるのですが、
今年の3月のシューベルト・トリビュート・アルバム
と3月21日のコンサートに備えて
少しずつ色々なことが動いています。


一度に書ききらないので
何度か、シューベルトに関わった思い出なんかを書いていこうと思っていますが、
今日は、発売されるCDのライナーノートを書く過程で、
面白い出来事がありましたので
一番今自分なりにホットな(??)それをお話ししますね。


昔、そう信じられていたように、は、
シューベルトがギターを“愛していた”訳ではない、
というのは最近の研究で定説となっているところなのですが、
では、何がきっかけで
シューベルトはピアノを持たず、自身の曲を確かめるときには
ギターを用いていた、という、
僕の子供の頃にまことしやかに語られていたような
伝説が生まれたのでしょう。

明らかな文献として有名なのは
1918年にリヒャルト・シュミットという人が
ライプツィヒのフリードリヒ・ホフマイスター社から出版した
『10シューベルト=リーダー(歌)』
という本がありまして、
この巻頭言としてシュミットさん、
「ギタリストとしてのシューベルト」(原題:Schubert als Gitarrist)
という長大な序文を書いているのです。

これは当時大論争を巻き起こした模様。

そして、シューベルトの作品番号を分類した
かのオットー・エーリヒ・ドイチュ氏による
「シューベルトにギターはない」(原題:Schubert ohne Gitarre)
というこれまた長大な記事が生まれることになったのです。

興味深いのは、
ことの前後関係はわかりませんが、
1918年というのは
僕が昨夏に草津音楽祭で演奏した、
そして来る3/21にも演奏する
かの、「カルテットD.96」が発見された年なのです。

ギター入りの室内楽が
シューベルトによって書かれていた、
ということで巷は騒然となったようですが、
ドイチュ氏は「そんなはずがあるわけがない、誰かの作品を編曲したものだ」
と完全に否定していたそうです。

果たせるかな、1931年に
このカルテットの原曲である
ヴェンツェスラウス・マティエカの「ノットゥルノ」が
発見され、
それにシューベルトがチェロパートを加えたものが
「D.96」だったことが判明するのですが、
13年間もの間、真相はわからなかったということですね。

話を1918年に戻しまして、
シュミット氏の主張をかいつまんでいうと、
まず、彼はこの序文の後に10曲のシューベルトの歌曲のギター伴奏譜を載せているのですが、
うち4曲に、「シューベルトによって編曲され初めて印刷される」という但書が
(おそらく編曲の)日付と共に掲載されています。

なぜ、シュミット氏がそんなものを持っているかというと、
フランツ・シューベルトの弟はフェルディナンド・シューベルトというヴァイオリニストなのですが、
ギターも弾けたようで(当時のウィーンでは珍しいことではない)
シュミット氏のお父さんは、このフェルディナンドさんの生徒であったため、
後年、シューベルトが所有していたギターのうちの一本、
アルペジョーネを製作したことでも知られるゲオルク・シュタウファー製のギターを
譲り受けたのだそうです。

シュミットによると、
シューベルトが所有したギターは3本あり、
現在のシューベルト博物館に展示されているものは
そのうちの一本だそうです。

これまでの話は
あくまでシュミット氏がそう語っている内容で、
確証がないため真偽を確かめる手立てがありません。


また、これに対するドイチュ氏の反論も
少し冷静さを欠いた雰囲気が否めないこともあり、
シューベルトがギターをとりわけ好きなわけではなかった、
というのは納得が行っても、
なんとなく後味の悪い印象を持ってしまいそうになります。

「水車小屋の娘」を初めて全曲ギター伴奏で編曲演奏した
コンラート・ラゴスニック氏とジョン・デュアルテ氏の出版譜の序文によれば、
ドイチュさんがギター伴奏用に編曲されたシューベルトの歌曲を
正統性を欠くものとして目の敵にしたために、
この分野(つまりギター伴奏歌曲)の伝統の継承や
それらの編曲作品の研究が著しく遅れた、のだとか。


で、ところで、
なのですが、
このシュミットさんの出版物は、
ヨーロッパの大きな大学の図書館に頼めば
見られるみたいなのですが、
https://www.worldcat.org/title/10-schubert-lieder-zur-gitarre-mit-einer-musikhistorischen-skizze-franz-schubert-als-gitarrist-op-75/oclc/315399410?referer=di&ht=edition#borrow
手続きが間に合わなさそうなので、
僕も今回のライナー執筆に際しては
なるべくそこはスルーしようかな、
と思っていたのですが。。。。。

なななんと!!!

うちの書棚にありました。。。
コピーが。。。
(違法なのかもしれませんが絶版書物ですしファクシミリ的な、ということで😓)

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これはですね〜
ザルツブルグのモーツァルテウムに留学していたとき、
ホアキン先生がやたらオリジナルの資料を読みなさい
というので、
例えばジュリアーニのロッシニアーナなんかは
その出てくるオペラのロッシーニの手稿譜のファクシミリなんかを読むために
毎日のように図書館に籠もっていた時期がありまして、
その時に見つけてコピーしていたんですね。。。。
時々使ってたんですけど、
まさかそのような由緒正しいものだったとは。
まあ、図書館で見た時からボロボロの本でしたので
後、日付からもこれは相当古いよ、
とは思ってましたが・・・・

ただ序文はもう、読むのが大変そうでギブアップ。
IMG_2012.jpeg

そうしたら、
夏に草津でシューベルティアーデをテーマに
歌い手の皆さんとコンサートをした際に
主催のIさんにいただいた、
フランツ・クサヴィエ・シュレヒタという人が
1940~46年くらいに書いたシューベルトの歌曲のギター編曲のマニュスクリプトの写真集に
シュミット、ドイチュ双方の言い分が英語とドイツ語で抄訳されて
掲載されていました。
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という訳で、
コピーしていた原本の楽譜の内容共併せて、
上記のような内容が判明したのです。


1933年の映画「未完成交響楽」の冒頭のシーン、
シューベルトはギターを質屋さんに持っていくのですが、
この、よくぞここまで、
根も葉もないフィクションの映画のなかで、
人々の心をつかむシーンにギター、
(映画の中では「Laute」とつまりリュートと言っていて甚だ不可思議
と思っていたら、ギターの詩語がラウテだそうです。。)
市井の人々に
「ああ〜大事なギターを質に入れなきゃいけないくらいなのね
可哀想なフランツ・シューベルト!」
(これは『グレン・ミラー物語』ではトロンボーンのところなので
大切なものじゃないと物語の効果が出ないはず)
と観客に思わせた、
シューベルトはギターなんだよね
というステレオタイプな概念が説得力を持っていた、
ということなのだ、という風にも言えるはずです。


実際、
僕の子供の頃もそうでしたし、
ラゴスニック氏&デュアルテ編の序文にあるように、
仮にシューベルトがギターにそれほど愛着がなかったとしても、
その時代のウィーンではギターの伴奏によって編曲された
歌や器楽というのは当たり前に存在していた訳だし、
作曲家もそれを黙認していたという訳なので
その存在の正統性はある程度認められて然るべきではないのか、
という意見にも
ギタリストとしてはまったく異論はありません。


次の回は、その辺のところから体験談を。