先日、
アンサンブル・ノマドの皆さんによる、
『~林光メモリアル2015~明日ひとつの歌が・・・』
というコンサートを聴かせていただきました。

個性的な実力あるメンバーの素晴らしい演奏から
浮かび上がって来たのは、
親密な室内楽を書く時の林光先生の、
熟練の技巧とウィットが、
それらを超えてとても思索的な舞台芸術となっていたこと。
一見賑やかで、羽目を外したような冗談に満ちた音楽の場所も、
その空間を共有する人々の心の動きを解放し、
その時その場所で、
自分の心や頭の中に何かを見つけ出す手助けとなっていたこと。

よく、ペドロ・アルモドバルの映画などで
少しだけ前衛的な舞台芸術を鑑賞するシーンがありますが、
そういう時に主人公というか登場人物は客席にいて、
何かに想いを馳せている、それそのものが
映画の一場面として成立している訳ですが、
ちょうど先日のコンサートの客席も、
そのような雰囲気になっていたのではないかと思いました。

それはパブリックであるのに極めてパーソナルな、
民衆的でありながら極度にアカデミックな技巧に裏打ちされた
光先生の音楽の密度と関わっているような気がしました。


その日はギター協奏曲「北の帆船」を、
寺嶋陸也さんがギターと弦楽四重奏版に編曲したものの
第1楽章の初お披露目で、佐藤紀雄氏のすばらしい音色と
僕の録音で指揮をしてくださった寺嶋さんの
響きを知り尽くした弦楽の編曲が溶けあう空間で
あらためて作品の素晴らしさを堪能することができました。


そして願わくば、
近い将来、
小さなギャラリーのような、あるいはサロンのような空間で、
30人くらいの聴衆と演奏家だけでこの作品を味わう機会が
僕が演奏者であるにせよ、聴衆であるにせよ、
訪れたら良いのにな~と漠然と考えていました。


じつはベートーベンの弦楽四重奏なんかも、
僕は時々、そういう、ちょっと大きめの“部屋”で聴いてみたい
願望にとらわれます。

そうすると「北の帆船」も、
ホールで弦楽合奏とともに演奏するのとはまた違った魅力を
発見できるような気がしたのでした。


音楽の体験というのはいろいろあって、
光さんの音楽を聴いていると、
彼が子供の頃から、仲間や先生たちと集まって
手をのばせば届くような空間で様々な濃密な音楽体験をして来た人なのだろう、
ということが
彼の書いた音楽から実感をともなって伝わってきました。

そしてそれは、時にとても主観的で、
19世紀以前の作曲家が等しく持っていた
香り高さのようなものと、共通する陶酔を
僕にもたらしてくれるものでした。
カテゴリー 音楽
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