昨日などもそういう体験をしたのですが、
演奏している時にはわからなかったけど
録音されている音を聴いたら
自分が頭に描いたイメージそのままになっていた、
という時がたまにあるんです。
ギターという楽器は、
不思議な、というか、曖昧な楽器で、
各弦どうしの調律は倍音を使って
かなり厳密に調整されているのに
指板についてるフレットという金属棒は
それをかなりざっくりと大胆に切り分けてしまうので、
突き詰めていくと、
ある和音が綺麗にハモると反対にぜんぜん合わない
歪んだハーモニーがなってしまうポジションができてしまうのです。
ほとんどの熟練のギタリストは、
そこを最大公約数がきちんと鳴る方法を見いだし、
安心して聴いていられる調律を編み出すのですが、
僕の場合、
こと録音になると頭の中にイメージしている音程というか、
ハーモニーを追いかけすぎてしまって、
袋小路に彷徨ってしまうことがあります。
ところが、
そこを潔くあきらめて、
目の前は袋小路でも、
チューナーなんか見ると気になるから無視して、
その袋小路のいきどまりに向かってすすんでゆくと、
ふっと壁を通り抜けて違う場所にたどり着くみたいな時があるのです。
きっとそのいきどまりの壁の手前に
空気の、というか空間の裂け目のようなものがあり
それを通り抜けてどこでもドアみたいな感じで
別の場所に出るのだろうと思うのですが、
その、
別の場所、
というのが、
まさに頭の中で思い描く通りの夢のような場所で、
心に思い浮かべた景色が瞬きする瞬間に眼前に広がり、
合いたくなった人を思い出すだけで
隣に座っている、というような、
とても不可思議な場所なのです。
僕は
音楽をしている間、というか、
音楽を作る行為を通してしか、
そのような体験をすることができないので、
しかも上記のように、
自分で弾いている間は
その不思議な場所にいることを自覚できていないことも多いので、
まだまだ経験的にはっきりと伝えられないのですが、
そういう場所が存在するということだけは、
感覚的に確信をもっています。
突然の別れや喪失を受けいられないとき、
まだ失われた人が、
ただいま~、と言いながら玄関を開けて帰ってきそうな気がする時、
実は僕は、
そんな音楽的な体験を思い起こします。
ひょっとしたら、
何かの弾みでうちの玄関は彼らがいる世界の玄関とつながる瞬間があるのに、
それはあまりに一瞬の出来事なので、
いつも歩いている廊下としかつながっていない、
現実的な体験のみを絶対普遍のものだと
信じ込んでいるだけなのではなかろうか。
録音のプレイバックを聴いていて、
あれ?さっきはピッチが合わずに四苦八苦していたつもりだったのに、
自分が夢中になってみると
通常では起こりえないような、
つまりギターのチューニングと楽器のシステムからは
すぐに起き得ないような響きが録音されていて、
あ、たしかにでも、
自分はこういう風に弾きたかったんだよね、
と思うとき、
僕は気づかぬうちにその場所にいて、
今は心の中にしか眠っていない去っていった人々のすぐ隣で
その音を聴いていたんだな、
と思うことがあります。
なんなんだろ、
心霊写真の録音版みたいな感じ!?!?
て、言ってしまうと
身もふたもないんですけどね。